詩奏のカラオケチャレンジ♪

主にJOYSOUNDのF1、MAXにおける全国採点オンラインに挑戦する惰弱の記録。だった。2020年現在DAMに完全移行してそっちの記事がメイン。ゲームの話もたまにしてる。そんな場所。

虚無の日々

どーもこんばんわ。今回も内容の無いクソ記事イクゾー。

日々のどうにもならない思い・・・まぁほぼ愚痴なんだろうがを書いていこうと思う。

 

歌ってない問題

最近の俺は

 

カラオケに行く→スコアを狙う→出ない→萎えてスマホを見てる

 

ということが極めて多い。今日は5時間中マイクを持っていたのは多分30分くらいだった。何時もの部屋が清掃中だとかで使えなかったせいでスコアが平均3PT程度低かったのもあったと思う。

 

カラオケに行くがいつの間にかスコアを叩くと同義になり・・・叩けないがつまらないに変わったのは何時からだったか?俺の周りには一緒に歌うことを楽しめる友人はいない。

 

lineで呼び出し気楽に誘える友人はいないんだ・・・ここで俺の名誉のために言うと友人がいないのではなく歌うのが趣味の友人がいないだけだ。

 

兎も角カラオケに行っても歌わないというか歌えないというか。虚無でしかなかった。何なら金を捨ててると言ってもいいかもしれねぇ。クソみたいな気分を引きずって俺は飯でもせめて食うかと店を後にした・・・・

 

俺の思ってるゲームと違う

 

注文した飯を待つ間も趣味、つまらない、勝てない。などのクソワード検索で暇を潰す。そこでふと気が付いた。

 

採点ってゲームじゃねぇよ!!!

 

っと。

 

ゲームといっても色々ある。TVゲームもそうだしカードゲームやボードゲームもある。じぇんけんだって立派なゲームだ。ランクマもゲームだろう。だが俺がゲームという単語から真っ先に連想するのは対戦ゲームだった。

 

一人か。或いはチームを組み敵と戦い勝った負けたと大騒ぎ。それこそが俺にとってのゲームだった。そこに気が付いたときなんか・・・・これまでの虚無の日々も当たり前だよなぁって感じた。今回の記事の内容はそれである。

 

以下ゲームという場合はここで定義したゲーム。という意味だと思って読んでいってほしい。

 

負けても楽しいのがいいゲーム?

 

こんな言葉を聞いた人も居るだろう。いいゲームは負けても楽しめると。俺は部分的にはあってると思う。

 

当たり前だが勝ちたい。多分皆そうだ。だから負けるとつまらない。というのもある程度当たっている。だがゲームはいろんな表情を見せる。試合に負けても

 

ワンコンは決めれたよな!だとか

 

アイツの立ち回り上手かったな。参考にしよ。だとか。

 

無論仲間雑魚過ぎ〇ね!!!!とか思うこともザラである。逆に戦犯かましてし〇んでくださいだのこのゲーム売って来いだのとファンメを送られることもある。ファンメを送るやつやし〇って野良にほざいてる連中の民度とかはここでは関係ないので無視する。

 

敗北から学べる要素があったかどうか?敗北はしたがその中でいい動きがあったかどうか?

 

ここで大事なのはこれだ。

 

要するに改善点だ。リプレイ見てもいいし思い出してもいいが・・・・反省できる要素が可視化されてるんだよ。やった本人の中でな。じゃあランクマはどうかっていうと見事に何もない。何もないんだよなぁ・・・・

 

この反省点を改善していく過程が楽しめればそれはそいつにとっていいゲームだと思う。けど俺にとってランクマはそうとは言い難い面がある。

 

結果で語るからダメなのか?

 

ランクマって要するに結果だと思う。1~3位のスコアがまず表示されて。最後に平均点が出てお前は県で何位で全国では何位~とランク付けされる。

 

ゲームで例えるならリザルト画面だ。リザルトだけ見て反省点が~とかは言えない。結果しか「評価しない」ランクマと過程を「自分で考えていける」点が違うのだと思う。

 

じゃあどうしたらいいんだよっていうと多分スコアの「出方」は残せると思うんだよな。1位のだけでいいからそれをランクマ中に画面に表示する。疑似的な対戦状況(みたいなもの)を作ったりするとまた気分も変わるのではないかなと。

 

ここのカンスト上限は95なんだな。だとか此奴もずっとカンストコースじゃあない。落ちてる個所もあるな!だとか。そんなのがわかるだけでも大分心理的な影響は違うと思う。

 

過去に1~3位が全部100だと歌う気もなくなるって知り合いの話をしたが覚えてる人はいるだろうか?ゲームをしていて一番盛り上がるのは近しい実力の人と戦っている時だ。

 

近しいからこそ勝つと嬉しい。負けると悔しいんだ。圧倒的に実力が近いともうそんな話にもならない。

 

ベジータカカロットをライバルとし、彼に挑まんと修行している。それは修行の結果彼を超えられるかも?超えてやると思っているからだ。今は負けていても修行の先では勝てる未来が見えているんだ。だからベジータは今日も修行をする。

 

けどこれがクリリンではどうか?クリリンはかなり初期の時代からすでにカカロットを超えようというのは諦めてしまっていた。いい友人、仲間のポジションとなり結果戦力外通告を受けた。え?超?あっちでも微妙でしたよね・・・?

 

これは実力が違いすぎるからあきらめた部分もあったように思う。高すぎる目標から身の丈に合った世界を見るようになりある意味楽になったし幸せとも思う。しかし見れないってやつもいるわけだ・・・・俺である。

 

マウント取りは悪いことなのか?

 

毎回のように勝ちたいだのなんだのと言っているのでたまに言われるんだが勝ってマウントを取りたいんですかって質問がある。はっきり言うと取りたい。

 

前回の記事で顕著だが俺は結果として嫌われていいとさえ思っている。惨めに(惨めというのはあくまでも個人の意見やし俺自身を指しての事なので。念のため)4位とか5位でいるくらいなら100になって勝てねぇ!こいつには。だとか100なんて見たら歌う気なくすわってくらいにさせたいとさえ思う。

 

それでやる気なくすのはその程度って事やからな。今の俺の体たらく含めて。

 

結局結果でしか物を言えないのがランクマの世界なので結果を出して黙らせるしかない。100を出されてクソが!と叫ぶ前に俺が100を取ってやるしかないんだよな。

 

それ楽しいの?とか言われそうやしこんな考えでは友達も出来なそうやなぁとか自分でも思うんだが・・・思うんだが俺はそういうもん。と思ってランクマ沼にハマりにいってるんで仕方がないのかもしれない。

 

別の楽しみとかもあるのかもだがそれにはきっと俺じゃない誰かの意見だとか交流が必要なんだろうって思う。

 

そんなまとまりの無い記事である